江戸の戯作者、蜀山人の出した「のんべえの心得」とは?

おちょこと 徳利

江戸時代の戯作者(げさくしゃ)のひとり・蜀山人(しょくさんじん)は、たいへんなのんべえでした。
蜀山人は、日本各地の造り酒屋を訪れては、味見をして狂歌(きょうか)を読んだといわれています。

しかも蜀山人は、自ら「飲酒法令」というのを作って、酒を飲む心得を述べています。
その心得とは、

一、節句(せっく)と祝儀(しゅうぎ)のときには飲むことにしよう
一、珍客(ちんきゃく)があれば飲むことにしよう
一、月見、雪見、花見のときには飲もう
一、二日酔いをさますときには飲もう
一、一日中飲むのは止めよう

つまりは、年中飲んでいたようですが、蜀山人はまた、いくつものよい酒の飲み方も述べています。
それはたとえば、お酒は楽しく飲むべきといったようなことです。

やけ酒は、体をこわす酒の典型で、うさばらしの酒は結局体の負担を増やし、酒に飲まれる酒となりがちです。
一日中飲むのは、もちろんよくありません。
飲むときにはならずつまみも用意し、たんぱく質を補給しながら飲むのはよい飲み方です。

しかしながらこの心得、いわば「のんべえの書いた、のんべえによる、のんべえのための心得」。
そこのところがどうも…。

 
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ビートたけしは、つまみ枝豆に800万円のベンツをプレゼントした?

ビートたけし
写真は、こちらからお借りしました。

コメディアン、漫才師、映画監督と、多彩な才能を世界中で絶賛(ぜっさん)されているビートたけし(本名:北野 武(きたの たけし、1947年 -))。
今日は、そのビートたけしの、ちょっといい話です。

たけしは、あるとき、たけし軍団のラッシャー板前が引っ越すと聞き、

「ラッシャー、引っ越しするんだって?欲しいもんあるか?」

と質問しました。
ラッシャー板前が、

「殿、洗濯機が欲しいっす」

と答えると、数日後、引っ越し先に大きな荷物が届きました。
大喜びで開けてみると、中にはタライと洗濯板が入っています。

ラッシャー板前は、

「これはたけしさんにやられたな」

と苦笑しながらタライの裏を見ると、100万円入った封筒がついています。
そして、その中には、

「コレでいい洗濯機買え!」

と書かれた手紙が同封(どうふう)されていたそうです。

同じく、たけし軍団のつまみ枝豆が運転手をしていたときのことです。
運転中に好きな車の話になり、たけしに、

「枝豆、お前乗りたい車ってあるか?」

と聞かれました。
つまみ枝豆が、

「そうですね~。やっぱりベンツですかね」

と答えたところ、その翌日にたけしから、

「これ持ってけ」

と、クシャクシャの紙袋を渡されました。
枝豆が、

「これなんですか、殿」

と答えると、たけしは、

「800万。これでベンツ買ってこい。欲しいと思ったものは思った時に買うのが一番いいんだ」

といいました。
いきなりの大金に驚いた枝豆は、1週間考えた後、お金をたけしに返しました。
そして、

「殿、やっぱり受け取れません。自分で働いて自分で買いたいです」

といいいました。
するとたけしは、

「お前ならそういうと思ってたよ」

といいました。

また、「アリtoキリギリス」がまだ世に出たばかりで、まったく売れていなかった頃のことです。
ある日彼らが外食をしていると、お店の人が、

「たけしさんも来てますよ」

と教えてくれました。

が、アリtoキリギリスの2人は、

「俺たちの事を知っている訳ないだろう。挨拶(あいさつ)に行くのもおこがましい」

と、挨拶は控えてしまいます。

ところが、帰ろうと勘定(かんじょう)に行くと、

「お代は たけしさんから頂いてます」

といわれました。

当時、まったく無名だったアリtoキリギリスは、当然ビートたけしと仕事で絡むことなどありません。
これは、ひと言お礼をいわなくてはと、店を出たばかりのビートたけしを追いかけました。
そして、発車しかけていたロールスロイスをとめ、

「お会計していただきありがとうございました!」

と、頭を下げました。
すると、ビートたけしはパワーウィンドウを開け、いいから、いいからという感じで、

「あんちゃん達が有名になったらオイラを使ってくれよ」

といいました。

参考にしたサイト
ビートたけしさんのいい話、または、感動する話があれば教え… – Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10100608050

 
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アントニオ猪木の「闘魂ビンタ」の始まりは?

アントニオ猪木 闘魂ビンタ
写真は、こちらからお借りしました。

1990年(平成2年)5月16日のこと、当時国会議員だったアントニオ猪木は、早稲田予備校で行なわれた講演で、予備校生たちのパンチを腹部に受ける余興(よきょう)を行ないました。

が、その中の1人は、実は少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)の有段者で、力を込めて殴ったため、この不意打ちに準備できなかったアントニオ猪木は、反射的に予備校生にビンタを打ってしまいました。

これは、国会議員による暴力事件とも取れますが、その予備校生は猪木のファンだったようで、ビンタを受けた直後に、

「ありがとうございました」

と一礼したことで事なきを得ました。

この様子は、テレビ中継されており、全国に流れました。

その後、縁起が良いと、東大受験生が受験前にアントニオ猪木にビンタをお願いし、全員合格を果たしたことから、縁起ものの「闘魂(とうこん)ビンタ」が生まれたというわけです。

「闘魂ビンタ」はその後も有名になり、女性の有名人までも、テレビ番組中に猪木に闘魂ビンタをねだるまでになりました。
本人によれば、国際線のスチュワーデスから「闘魂注入ビンタしてください」と頼まれて、飛行機の中でしたこともあるそうです。

また、一時期は、若い女性ファンからビンタではなくキスをして欲しいとせがまれ、その後他の女性たちからも次々にせがまれるという現象が起こりました。
これは、「闘魂注入キス」と呼ばれました。

なお、アントニオ猪木が、試合以外で一般人に初めてビンタを見舞った相手は、当時のテレビ朝日のアナウンサー・佐々木正洋(ささき  まさひろ)です。
1990年2月10日の東京ドーム大会において、アントニオ猪木&坂口征二vs橋本真也&蝶野正洋(ちょうの まさひろ)戦の試合前の控室で、「ワールドプロレスリング」のリポーター担当として、

「もし負けるということがあると、これは「勝負は時の運」という言葉ですまないことになりますが」

と質問した佐々木正洋に激怒(げきど)し、

「出る前に負けることを考えるバカいるかよ!」

と、ビンタを見舞ったのが最初だといわれています。

参考にしたサイト
アントニオ猪木 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニオ猪木

 
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「安全かみそり」は、もともと「安全性重視」で発明されたものではなかった?

安全かみそり

「1回使ったら捨ててしまうようなものを発明したらどうだ? そうすれば、客は何度でも買いに来る」

と、あるとき雇い主にいわれた40歳のアメリカ人セールスマン、キング・キャンプ・ジレット(King Camp Gillette、1855年 – 1932年)。

彼は、明けても暮れても、頭の片隅で何かいいアイディアはないかと考えていました。

1895年のこと、ジレットは、セールスの旅先でひげそり用のかみそりを研(と)いでいました。
そのとき、彼の頭に妙案(みょうあん)が浮かびました。

「何でこんなに厚い刃にして、1回1回研がなければならないんだ? ”刃を薄い鋼鉄にして安くあげれば、使い捨てにできる!”」

彼は、「あまりのうれしさに、鏡の前で有頂天(うちょうてん)になった」と妻に手紙を書いています。
しかしながら、そのうれしさもつかの間でした。
当時は、鋼鉄をそれほど薄く延ばせる圧搾機(あっさくき)がなかったのです。
が、彼はそれにめげずに、6年もの間、工夫に工夫を重ねました。

かくして1901年に、エレベーターの押しボタンを考案したウィリアム・ニッカーソンを呼び入れ、アメリカ・セーフティー・レーザー株式会社を設立。
ニッカーソンは、翌年の1902年までに技術上の問題をすべて解決し、会社設立から3年後の1904年には、9万個のかみそりを販売しました。

このかみそりは、「安全かみそり」と名づけられていますが、当時のジレットは、かみそりの安全性を改良することなど、まったく考えていなかったようです。

ちなみに、これは何でしょうか?

国会議事堂と かみなり

はい、そうです。

「かみなり」、ですね。【><】

 
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「ハクション大魔王」の最終回はどうなる?

吉田竜夫原作、タツノコプロによるギャグテレビアニメ・「ハクション大魔王」で、最終回はどうなるのでしょうか?

ハクション大魔王
写真は、こちらからお借りしました。

ある日、魔法の国の厳しい掟(おきて)が魔王にいい渡されます。
あと1回、魔法の壺(つぼ)に戻ったら、魔王もアクビも100年間の眠りに入るというのです。

それだけではありません。魔王の主であるカンちゃんは、3日後に起こる月蝕(げっしょく)の間に、必ずくしゃみをする運命にあるというのです。

一方、人間界では、魔王が名誉市民(めいよしみん)として表彰(ひょうしょう)されることが決定します。
カンちゃんは早速、この朗報(ろうほう)を魔王に知らせようと、くしゃみをして魔王を呼び出します。

やむを得ず壺から出てきた魔王に対して、与田山家は祝賀パーティーを開くことにします。
かくして盛大に開かれたパーティーに、魔王にゆかりのある人が次々に駆けつけますが、パパは、アクビがいないことに気がつきます。
そして、あくびをして、彼女も呼び出してしまいます。

魔王は、皆からもらったプレゼントの山に埋もれていき、皆の温かい気持ちに大感激します。
それで、お別れが近いことをいい出せなくなってしまいました。

パーティーが終わった後も、魔王とアクビは屋根部屋で泣き続けていました。
心配したカンちゃんが屋根裏部屋へ行ってみると、魔王はやっと、明日でお別れだということを告白。
仲間たちはそれを聞くと、一致団結して、何とか魔王を壺に戻らせない方法を考えます。

かくして、魔王の壺は金庫に閉じ込められ、ブル公がその鍵を飲み込みました。
カンちゃんは、くしゃみをしないように鼻栓(はなせん)を用意し、パパはあくび防止のため、眠くなるとバケツの水が落ちる仕掛けに縛られました。

これで、何もかも万全(ばんぜん)なはずです。

ところが、月蝕が始まると、予想だにしなかったことが起こりました。
金庫の中から、不思議な音楽が流れ始め、その音楽に皆眠り込んでしまうのです。
カンちゃんも眠気をこらえようとしますが、その努力もむなしく、カンちゃんはくしゃみを、パパはあくびをしてしまいます。

そして、魔法の力で金庫から出てきた壺の中へ、魔王とアクビは吸い込まれていくのでした。

やがて、月蝕が終わると、壺は夜空を漂い始めます。
目を覚ました皆は、必死に壺の後を追いますが、追いつくことができません。
かくして、魔王とアクビを飲み込んだ壺は、月に向かって去っていってしまいました。

「ハクション大魔王」のテレビ放送
1969年10月5日 – 1970年9月7日(全52回)

 
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