懐石料理(かいせきりょうり)と聞くと、料亭で出されるような豪華な料理をイメージされることでしょう。
しかしながら、この料理は、驚くなかれ、もともと「空腹をしのぐための軽い食事」のことでした。
懐石料理の語源は?
禅僧(ぜんそう)が修行時に空腹をしのぐために用いた石。
昔、禅僧(ぜんそう)が修行時に空腹をしのぐため、せめてお腹を温めようと用いた御石(おんじゃく)を懐石といいます。
1日1食だった修行僧は、この温石(おんじゃく)を懐(ふところ)に入れることによって、空腹と寒さを耐え忍んだのです。
そして、その御石(おんじゃく)と同じように、「お腹を温め、空腹をしのぐための軽い食事」というのが懐石料理の語源です。
懐石料理は茶の湯から生まれたって本当?
イエス。懐石料理は千利休が大阪の商人たちと茶会を開いた中で始めたもの。
懐石料理は、安土桃山時代(あづちももやまじだい)に、茶道(さどう)の創始者として有名な千利休(せんのりきゅう)が、大阪の商人たちと頻繁(ひんぱん)に茶会を開いた中で始めたものです。
当初は、空腹状態で茶を飲むことを避け、茶をよりおいしく味わうことが目的の質素(しっそ)な料理でした。
懐石料理は、お茶を飲む前に出す「一汁三菜(あるいは一汁二菜)の少量ずつの軽食で、「一汁(いちじゅう)」とは吸い物、「三菜(さんさい)」とは料理3品を意味します。
亭主(茶事の主催者)が、旬の食材を使い、素材の持ち味を活かして茶道の心得である「侘び・寂び(わびさび)」を料理に表現し、心をこめて、客人をもてなすために自(みずか)ら作って供することが、懐石の真髄(しんずい」)とされました。
懐石料理が豪華な料理へと変化したのはいつ?
大正時代。
しかし、大正時代に入ると、外国から多量の肉などを容易に手に入られるようになり、それまで質素だった懐石料理は、今日(こんにち)見られるような豪華(ごうか)なものへと変わっていきました。
その一方で、今も昔も変わらないのが、汁物1品とおかずを3品(主菜1品+副菜2品)とした一汁三菜(いちじゅうさんさい)の形式です。
また、懐石料理を確立したのが千利休(せんのりきゅう)ということもあり、懐石料理の食事作法は、茶道の作法に準じています。
そして、現代においても「侘び・寂び(わびさび)」の心は息づいています。
四季折々の素材、「侘び・寂び(わびさび)」という日本独自の心を味わい、茶をおいしく味わうための、質素ながらも中身にこだわった四季折々(しきおりおり)の素材の味を堪能(たんのう)すること、それが懐石料理の本来の魅力なのです。
まとめ
昔、禅僧(ぜんそう)が修行時に空腹をしのぐため、せめてお腹を温めようと用いた御石(おんじゃく)が「懐石」です。
その御石(おんじゃく)のように、「お腹を温め、空腹をしのぐための軽い食事」というのが懐石料理の語源です。
その後、大正時代に入ると、懐石料理は、今日(こんにち)見られるような豪華(ごうか)な料理へと変わっていきました。
おわりに
今日は、「懐石料理」はもともと「空腹をしのぐための軽い食事」のことだったという話を書いてみましたが、いかがでしたか?
あの豪華な料理が、昔は軽い食事だったなんて、驚きですね。おお!(゚o゚)
料理といえば、「ひとつまみ」「少々」「ひとにぎり」「ひとたらし」は、それぞれどのくらいの量なのでしょうか?
もしもご存知なかったり、知っていても記憶があやふやだった方は、この機会にしっかり覚えてしまいましょう。