えっ? 「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士は、その後破産していた?

ウィリアム・スミス・クラーク

明治の初めに、新政府がアメリカから招いた、日本ではクラーク博士として知られるウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年 – 1886年)。

彼は、北海道開拓の礎(いしずえ)を築くべく開校した「札幌農学校(現在の北海道大学)」で実学(じつがく、=社会生活に実際に役立つ学問。医学・農学・法律学・経済学など)を指導し、教え子と別れる際に、あの有名な「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)」の言葉を残しました。

しかしながら、このクラーク博士のその後については、意外と知られていません。

クラーク博士は、その後破産していた

日本を離れ、アメリカに戻ったクラークは、世界一周航海の船上を教育の場にしようと考え、洋上大学の開校を企画します。
が、この計画は資金面で頓挫(とんざ)します。

その後、知人とともに鉱山会社を設立し、非合法の鉱山投機にも手を出すのですが、会社はまたもや倒産。
その結果、莫大(ばくだい)な借金を背負ってしまいます。

かくして、財産のみならず社会的信用までをも失い、くわえて晩年は心臓病にかかって寝たきりの生活となったクラーク博士は、失意(しつい)のうちに59歳でその生涯を終えました。

死の間際には、

札幌で過ごした8ヶ月間こそ私の人生で最も輝かしい時だった

と言い残したと伝えられています。

参考にしたサイト
ウィリアム・スミス・クラーク – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・スミス・クラーク

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