コペルニクスが宗教裁判にかけられなかったのは何故?

コペルニクス

地動説を唱えたガリレイ・ガリレイは宗教裁判にかけられましたが、同じ説を唱えたコペルニクスはかけられませんでした。
これは一体、何故なのでしょうか?

コペルニクスが宗教裁判にかけられなかった理由は?

宗教裁判_00

コペルニクスが宗教裁判にかけられなかった理由は、ずばり、コペルニクスがその学説が知られる前に死亡したためです。

天動説から地動説への転回を主張した、コペルニクスの「天体の回転について」は、それまでの宇宙観をひっくり返すほどの画期的な書物でしたが、その誕生の経緯はひっそりとしたものでした。

この本の原稿は、かなり早い時期(1530年頃)に出来上がっていたのですが、コペルニクスは今ひとつ出版への踏ん切りがつきませんでした。
というのは、世にいわれるような教会からの圧力があったからではなく、コペルニクスの理論が観測結果とうまく合っていなかったからです。
むしろ、天動説の方が観測結果に細部まで合致していました。
しかし、だからといって観測結果を曲げるわけにはいきません。

コペルニクス_02
出典:https://s3.amazonaws.com/s3.timetoast.com/public/uploads/photos/8191035/nicolaus-copernicus.jpg

悩んだ末、コペルニクスが友人たちの強いすすめに押し切られる形で出版に合意したのは、1540年になってからのことです。
そして、完成したその本がコペルニクスの元に届けられたのは、何と、コペルニクスが亡くなったその日(1543年5月24日)のことでした!

参考にしたサイト
ガリレイが異端審問にかけられたのに、コペルニクスがかけられなかったのは、なぜ…- Yahoo! 知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148802324

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