キュリー夫人が残したノートは、いまだに放射能を放ち続けているって本当?

放射能

放射性物質(ほうしゃせいぶっしつ)の研究にその生涯(しょうがい)を捧げたキュリー夫人。
キュリー夫人が残したノートは、いまだに放射能(ほうしゃのう)を放ち続けています。

キュリー夫人ってどんな人?

キュリー夫人(Maria Salomea Skłodowska-Curie、1867年11月7日 – 1934年7月4日)は、ワルシャワ出身の物理学者、化学者です。

キュリー夫人
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

放射線の研究で、1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞。その功績(こうせき)を認められ、パリ大学初の女性教授職に就任(しゅうにん)しました。
そして、1909年には、アンリ・ド・ロチルド(1872-1946年)からキュリー研究所を与えられました。

放射能 (radioactivity) という用語は、彼女の発案によるものです。

キュリー夫人が残したノートは、いまだに放射能を放ち続けている

ピエールとマリ夫妻、研究所にて。1890年代に撮影。手前に写っている機器が放射能測定機器(ほうしゃのうそくていきき)
ピエールとマリ夫妻、研究所にて。1890年代に撮影。手前に写っている機器が放射能測定機器
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

さて、このキュリー婦人の研究室は、常時強い放射線(ほうしゃせん)にさらされていました。
そのため、彼女が残した手書きノートなどの身の回り品は、100年以上経った今も放射線(ほうしゃせん)を出しており、触れる際には防護服(ぼうごふく)を着用(ちゃくよう)のうえ、免責同意書(めんせきどういしょ)にサインする必要があります。

キュリー夫人の死因は?

はたせるかな、放射線の研究でノーベル賞を2度受賞したキュリー夫人は、1934年7月4日に66歳で亡くなっています。
その死因は、長期間にわたって放射性物質であるラジウム(Ra)を扱ったことによる、再生不良性貧血(さいせいふりょうせいひんけつ、=血液中の白血球、赤血球、血小板(けっしょうばん)が減少することで、 めまいや頭痛 、疲れやすさなどのさまざまな症状が現れる病気)だったと考えられています。

ちなみに、キュリー夫人の最後の言葉は、

「いやです、構わないでください」

でした。

おわりに

「うーん。キュリー夫人って、スゴイ人だったんだニャー」
“Hmmm. Madame Curie was an amazing person.”
本を読む猫
出典:https://news.livedoor.com/

今日は、キュリー夫人が残したノートは、いまだに放射能(ほうしゃのう)を放ち続けているという話を書いてみましたが、いかがでしたか?

彼女は、手づかみでラジウムを取扱い、口に咥(くわ)えたペピットでラジウムを溶かした液体を吸い上げるという生活を何10年も続けていたので、早晩放射線障害(ほうしゃせんしょうがい)による死は避けられなかったものと思われます。

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