「あしたのジョー」の最終回はどうなる?

梶原一騎(かじわらいっき、高森朝雄名義)原作、ちばてつや作画のスポーツ漫画・「あしたのジョー」のテレビアニメで、最終回はどうなるのでしょうか?

あしたのジョー
写真は、こちらからお借りしました。

力石徹(りきいし とおる)の死から立ち直った丈(じょう)は、強敵(きょうてき)カーロス・リベラと激戦(げきせん)を展開。
第一ラウンドから、ダウンの奪い合いとなります。

ashita-no-joe0

続く第2ラウンド。
激しい打ち合いののち、丈がロープにもたれかかると、カーロスが風を巻いて丈に接近。攻撃を仕掛けます。
丈のボディーブローが決まると思われた瞬間、ロープにもたれかかっている丈をカーロスがロープをつかんで引き寄せ、アッパーをヒットさせます。
場外まで吹っ飛ばされた丈はリング内に戻り、かろうじてカウント9で立ちます。
その直後に第2ラウンド終了。
そのときカルロスは、丈の耳元に、「小細工抜きの大勝負をしよう」とささやきます。

ashita-no-joe1

続く第3ラウンド。
開始と同時に、一切防衛(ぼうえい)せずに、両者は激しく殴り合います。
そして、終了のゴングが鳴っても、戦いをやめない2人。
やがて2人は力尽き、リング上に倒れこんでしまいます。

ashita-no-joe2

ボクシングの枠を超えた戦いに感銘(かんめい)を受けた観客が、リングの周囲に集まってきます。
そして、この戦いの仕掛け人である白木葉子(しらき ようこ)が涙を流す中、2人は倒れたまま満足げな笑みを浮かべるのでした。

試合後、観客のいなくなった会場で、葉子は今は亡き力石の写真に向かって、「今日の試合を見せたかった」と語りかけます。
そこへ丈が現れ、カーロスというライバルと引き合わせてくれた礼を述べると、会場から去っていきます。

ashita-no-joe3

その頃、丈にボクシングを教え込んだ丹下段平(たんげ だんぺい)や、丈を慕う子供たちが、ジムで丈の帰りを待っていました。
そこへ葉子が現れ、丈が手紙を残して旅立ったことを告げます……。

「あしたのジョー」のテレビ放送
1970年4月1日 – 1971年9月29日(全79話)

 
Posted in 漫画・アニメ | Leave a comment

高層ビルのクレーンは、どうやって降ろす?

クレーン 屋上

昭和43年に、日本で初めての高層ビルである霞ヶ関(かすみがせき)ビルが完成してから、間もなく50年を迎えます。
新宿副都心には、その後高さ100メートル以上という超高層ビルが林立するようになりました。
狭い土地の有効利用という観点からみれば、高層ビルはこれからも増え続けるものと思われます。

さて、建設中の高層ビルを見ると、その高い屋上部分に巨大なクレーンが乗っていることがあります。
もちろん、このクレーンは完成すれば撤去(てっきょ)されるわけですが、あの高さから、あの大きなものをどうやって降ろすのか、疑問に思う方も多いことでしょう。

実は、これはそんなに難しいことではないのです。

まず、巨大クレーンの近くに、ひとまわり小さいクレーンを組み立てます。
次に、そのクレーンを使って、巨大クレーンを解体(かいたい)し、その部品を地上に降ろします。
この作業をもう1度繰り返します。

最後のクレーンは、解体後に人の力でエレベーターに乗せられ、地上に降ろされます。

クレーンの 解体 搬出

参考にしたサイト
クライミングクレーンの知識-一般社団法人 日本クレーン協会
http://www.cranenet.or.jp/tisiki/kuraimingu.html

 
Posted in 雑学 | Leave a comment

ヤクルトの応援歌は、何故「東京音頭」なのか?

神宮球場

これには、古い歴史があります。
1960年代に遡(さかのぼ)りますが、当時、ヤクルトの最大私設応援団団長だった岡田正泰(おかだ まさやす、1931年4月8日 – 2002年7月30日)氏が突然歌い出したのが始まりです。

岡田氏は、チャキチャキの江戸っ子で、大のお祭り好きでした。
岡田氏は、自分の近所の友人や、幼馴染(おさななじ)みを誘ってヤクルトの応援に行っていたのですが、弱小球団(じゃくしょうきゅうだん)で人気も全然なかったヤクルトを少しでも盛り上げようと、「東京音頭」を歌い始めたのです。

東京音頭は、岡田氏のように東京の下町に住む方にとっては、小さい頃から馴染みのある曲(ヤクルトスワローズ以前にも大毎オリオンズの応援団が応援歌にしていた)でした。
友人たちも皆知っている曲だったので、この曲が歌われたようです。

その後、ヤクルトファンが増え、徐々に「東京音頭」が浸透(しんとう)していきますが、そんな中、ヤクルトが念願の初優勝を果たします。

これがきっかけで、応援歌に「東京音頭」が定着(ていしゃく)し、現在に至っているのです。

なお、岡田氏は東京音頭の他にも傘による応援など、現在のスワローズの応援スタイルを確立した方でもあります。
傘による応援はもともと、少ないファンをなるべく多く見せることが目的でした。

1990年代に入って、ヤクルトが優勝チームの常連になっても、岡田氏は「ファンを楽しませたい」という一心で明治神宮野球場に足を運び、声を嗄(か)らしてヤクルトを応援し続けました。
ヤクルトファンは、彼のことを尊敬の念をこめて「オヤジ」と呼び、今でもライトスタンドには、岡田氏の在りし日の写真とともに、お供え物や花などが飾られています。

参考にしたサイト
なぜヤクルトの応援歌は「東京音頭」なのですか? – Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222382837
岡田正泰 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/岡田正泰

 
Posted in バラエティー | Leave a comment

東北三大祭りのルーツは、すべて「七夕」にあった?

夏祭り
夏祭り

8月に入ると、全国各地で盛大に夏祭りが行なわれます。
なかでも、東北三大祭といわれる青森のねぶた、秋田の竿灯(かんとう)、仙台の七夕(たなばた)は、毎年テレビや新聞などで報道されるほど華やかなものです。

まず先陣を切るのが、青森のねぶた。
8月2日~7日に青森市、1から7日に弘前市(ひろさきし)で催(もよお)され、弘前ではねぶたと呼びます。
武者絵(むしゃえ、=武者の姿や合戦のありさまを描いた絵)などが描かれた超大型の切り子灯篭(きりことうろう)を担ぎ、街中を練り歩きます。

ねぶた
ねぶた

次が、8月5~7日に秋田市で催される竿灯。
高さ8メートルもの竹竿(たけざお)に、数本の横竿を張り、46個、または48個の提灯(ちょうちん)をつけたものを、威勢(いせい)のいい若者たちがひとりずつ担(かつ)ぎます。

秋田 竿灯祭り
秋田 竿灯まつり

最後は、8月6日~8日の仙台市の七夕。
繁華街(はんかがい)の商店や会社が、大竹竿にさまざまな趣向(しゅこう)の飾りつけをし、街を賑(にぎ)やかに彩(いろど)ります。

仙台七夕
仙台七夕

さて、これら三大祭りのルーツはすべて同じで、七夕の行事からきているのです。
仙台の七夕はもちろんですが、ねぶたと竿灯は、人の動きの妨げとなる眠気を、川や海に流してしまおうという「眠流し(ねぶりながし)」がもとといわれています。

本来、七夕の行事は、畑作(はたさく)の収穫と秋の稲作(いなさく)が豊作でありますようにと祈って、祖先の霊を祀(まつ)る盆の準備としてのもので、旧暦の7月7日にのっとって、現在の8月上旬に行なわれるようになりました。

 
Posted in 雑学 | Leave a comment

「ケ」は、何故「個」なのか?

漢字 コ 個 箇

1コ2コと物を数えるとき、私たちは「個」という漢字のかわりに、カタカナの「ケ」を使うことがあります。
しかしながら、「個」と「ケ」の間には、どこにも似たところが見当たりません。
それに、カタカナの「ケ」を「こ」と読むのも何だか変です。

これは一体、どういうことなのでしょうか?

「個」は俗字(ぞくじ)で、本来は「箇」と書きます。
この漢字は、見て分かるように、「竹」と「固」から成っています。
固は、コツコツと鳴る音をあらわすもので、竹と竹がぶつかるときの音をあらわしています。
なので、「箇」という漢字は、もともと竹を数えるときの言葉だったのです。

「箇」と同じ意味として、昔は「个」という漢字も使われていました。
読み方は「こ」または「か」で、やはり1コ、2コと数えるときの助数詞として使われていました。

この「个」を崩し書きしていくと、だんだんとカタカナの「ケ」に似てきます。
そこで、いつの間にか本来の「个」の方は忘れ去られてカタカナの「ケ」だけが残り、今でも「個」と同じように用いられているというわけです。

「ケ」は、本当はカタカナではなく、れっきとした漢字だったのですね。

 
Posted in 雑学 | Leave a comment