金平糖の歴史と豆知識|戦国時代の超高級品が庶民のお菓子になるまで

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金平糖

カラフルな星のような形が愛らしい金平糖(こんぺいとう)。最近では見かける機会が少なくなりましたが、その小さな粒には、戦国時代から続く驚きのドラマが詰まっています。

かつて「黄金の米」と呼ばれ、製造法が門外不出(もんがいふしゅつ)の秘密とされていたこのお菓子。織田信長も口にしたという金平糖(こんぺいとう)は、なぜそれほどまでに貴重だったのでしょうか?

今回は、知られざる金平糖(こんぺいとう)の歴史と、現代まで受け継がれてきた伝統の物語をご紹介します。

戦国時代、ポルトガルから渡来した「幻の砂糖菓子」

金平糖が日本に伝わったのは、1546年(天文15年)。ポルトガルの宣教師が持ち込んだこの異国の菓子は、当時の日本人を驚かせました。

表面に無数の角を持つ独特な形状、口に入れるとゆっくり溶けていく甘さ—砂糖そのものが超貴重品だった時代、金平糖はまさに「見たこともない宝物」だったのです。

その製造法は完全な門外不出(もんがいふしゅつ)。長崎の一部の職人だけが知る秘伝として、厳重に守られていました。

「黄金の米」と書かれた理由—貴重すぎた砂糖の真実

金平糖(こんぺいとう)は「金米糖」とも表記されます。この「金米」には、黄金の米という意味が込められています。

米が主食の日本において、「米のように大切なもの」「黄金に匹敵する価値をもつもの」という最高級の敬意を表したネーミングです。貧しい時代、物資が乏しかった時代に、いかに金平糖(こんぺいとう)が特別な存在だったかが、この文字からも伝わってきます。

当時、砂糖は輸入に頼る超高級品。金平糖(こんぺいとう)はまさに、庶民には手の届かない「夢のお菓子」だったのです。

戦時中は兵士の命綱—非常食としての金平糖

金平糖_02

時代が下り、戦時中には金平糖(こんぺいとう)に新たな役割が与えられました。乾パンと並んで、兵士の非常食・保存食として採用されたのです。

砂糖の塊である金平糖(こんぺいとう)は、小さくても高カロリーで保存性に優れ、素早くエネルギー補給ができる理想的な携行食でした。過酷な戦地で、兵士たちの命を支える貴重な糧(かて)となっていたのです。

長崎から京都・江戸へ—日本中に広まった伝統の味

やがて製造技術が長崎から京都、江戸へと伝わり、金平糖(こんぺいとう)は徐々に日本各地で作られるようになります。

職人たちの努力により製法が確立されると、かつての「幻の高級品」は、少しずつ庶民にも親しまれる存在へと変化していきました。

こうして金平糖(こんぺいとう)は、日本の伝統菓子として根付き、祝い事や贈り物としても愛される、文化の一部となったのです。

まとめ:小さな粒に詰まった、時代を超えた物語

まとめ猫

今でこそ懐かしいお菓子として記憶される金平糖(こんぺいとう)ですが、その背景には、戦国時代から続く壮大な歴史が隠されていました。

「黄金の米」と呼ばれた幻の高級品が、時を経て多くの人々に愛される存在になった—その変遷(へんせん)こそが、金平糖(こんぺいとう)の真の魅力なのかもしれません。

次に金平糖(こんぺいとう)を見かけたら、是非この小さな星に秘められた物語を思い出してみてください。

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