相撲の「花道」の語源は? – かつて力士が頭に花をさして通ったことから【相撲雑学】

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力士が土に向かう通路を花道といいますが、何故「花道」なのでしょうか?
その理由は、頭に花をつけた力士がこの通路を通ったためです。
この記事では、相撲の「花道」の語源を分かりやすく説明します。1分で読める相撲雑学!

相撲の「花道」の語源は?

奈良時代や平安時代には、宮中で盛んに「節会(せつえ)」と呼ばれる相撲大会が行なわれていました。

この大会では、力士が東西に分かれて勝敗を競っていましたが、東方の力士はミツバアオイの花を、西方の力士は夕顔の花を頭にさして登場しました。

頭に花をつけた力士が通ったことから、この通路を花道と呼ぶようになりました。

歌舞伎の「花道」との関係

歌舞伎にも「花道」があります。
が、こちらは観客が贔屓の役者に「花(祝儀)」を渡すための通路が起源とされます。

相撲の花道は「花を挿した力士の通路」、歌舞伎の花道は「祝儀を渡す通路」と、起源は異なるものの、どちらも観客と演者(力士・役者)を結ぶ象徴的な道です。

現在の相撲においても、花道は単なる通路ではなく、力士が支度部屋から土俵へ向かう緊張感を高める場、また勝者が堂々と、敗者が悔しさを抱えて引き上げる場、さらには観客が力士を間近に感じられる場として重要な意味をもっています。

まとめ

相撲の「花道」は、古代の力士が花を頭に飾って通ったことが語源で、歌舞伎の花道とは別の由来をもっています。今日でも力士と観客を結ぶ神聖で象徴的な通路として、大相撲の臨場感を支える大切な存在です。

おわりに

おわりに

今日は、相撲の「花道」の語源について書いてみましたが、いかがでしたか?

相撲といえば、なんと、相手の力士の迫力に圧倒され、試合中に逃げ出した力士がいました!
詳しくは、以下の記事をお読みください。

なんと、相撲の試合中に試合を放棄して逃げ出した力士がいることをご存じですか?1964年(昭和39年)に行なわれた高見山(たかみやま)と吉瀬川(きせがわ)の1番で、吉瀬川が土俵から逃げ出したのです! 9割の人が知らない相撲雑学。

参考にしたサイト
相撲の花道 – マックスウエブライフ
http://maxblog.mie1.net/e10050.html

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