肖像画一覧

「独眼竜」伊達政宗は本当に眼帯をしていた? – 右眼に眼帯をした姿は後世に創作されたものだった

東北地方を代表する戦国大名は誰かと問われれば、多くの方が伊達政宗(だて まさむね)と答えることでしょう。仙台藩祖の伊達政宗は、のちに「あと10年早く生まれていれば、天下が奪(と)れた」と評されたその活躍ぶりもさることながら、幼少時に右眼を失明(しつめい)したことから「独眼竜(どくがんりゅう)」とも称されています。さて、伊達政宗のいわばトレードマークともいえる右眼を覆う眼帯ですが、実はこの眼帯姿は後世に創作されたものでした。

沖田総司は、本当は美剣士ではなかった?

沖田 総司(おきた そうじ、天保15年(1844年)- 慶応4年5月30日(1868年7月19日)は、幕末の武士、新撰組(しんせんぐみ)一番隊組長及び撃剣師範(げっけんしはん)で、新選組隊士の中でも最強の呼び声の高い人物です。その、若き天才剣士が、労咳(ろうがい)によって若くして亡くなるというドラマ性に富む生涯から、そのドラマ性をさらに高める要素として、彼を主人公とする多数の創作において、「剣にめっぽう強い上に明るい性格、その反面、病弱で色白の美青年」として描かれてきました。

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