童謡「赤い靴」の女の子は、異人さんについていかなかった?

「赤い靴(くつ) はいてた 女の子 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった」

童謡「赤い靴」の一節です。
しかし実際には、この女の子は、異人さんについて行かなかったようです。

童謡「赤い靴」の女の子は、異人さんについていかなかった

パティオ「きみちゃん像」
パティオ「きみちゃん像」

野口雨情(のぐち うじょう)作詞、本居 長世(もとおり ながよ)作曲の、有名な童謡・「赤い靴」。

この「赤い靴」には、モデルが実在していました。
北海道に開拓民として入植(にゅうしょく)した鈴木夫婦の子供で、「きみ」という女の子です。

鈴木夫婦は、きみが3歳のときに、アメリカ人宣教師チャ-ルス・ヒュエット夫妻のもとへ養子に出しました。
そしてその後、宣教師が帰国したという噂を耳にします。
そのため、「異人さんにつれられていっちゃった」という歌詞が生まれたわけです。

が実は、きみちゃんはその後、重い結核(けっかく)を患(わずら)い、東京の教会の孤児院に引き取られたあと、わずか9年後に亡くなっていました。

そして彼女は、今も東京の青山墓地に眠っています。

きみちゃん像 説明板
きみちゃん像 説明板
上記2枚の写真は、こちらからお借りしました。

つまり、「赤い靴」の女の子は、アメリカには渡っていないのです。

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