明治天皇はすり替えられていた?-大政奉還における薩長同盟の暗躍

明治天皇
写真は、こちらからお借りしました。

明治天皇は、まったくの別人にすり替えられていたという説があります。
その事件は、大政奉還(たいせいほうかん)の最中に起こりました。

最初の犠牲者になったのが、孝明天皇(こうめいてんのう)です。
長州藩(ちょうしゅうはん)を嫌悪(けんお)していた孝明天皇は、親長州派にとって都合の悪い存在でした。
そのため、天然痘(てんねんとう)に見せかけて暗殺されたのではないかといわれています。

そして、孝明天皇が崩御(ほうぎょ)され、その次の天皇として即位したのが当時14歳だった孝明天皇の息子、睦人親王(むつひとしんのう)です。
が、次の事件がここで起きていました。
本物の睦人親王も暗殺されていたのです。

事実上倒幕を果たした薩長は、次期天皇を長州に反感を抱く人物にはしたくありませんでした。
そこで、本物の睦人親王を殺し、代わりに長州藩が匿(かくま)っていた南朝の子孫、大室寅之祐(おおむろ とらのすけ)を明治天皇として仕立て上げたというのです。

これは、単なる憶測(おくそく)ではありません。この説を裏付ける根拠が存在します。

根拠1:見た目がまったく変わっている
少年期と即位後の写真では、別人のように顔が違う。
ちなみに、即位後の明治天皇は、写真嫌いで有名。

根拠2:睦人親王は虚弱体質だった
睦人親王は、幼少時から著しく虚弱であり、とても政治ができるほどの体力はないといわれていた。
が、明治天皇は体格が立派で、馬に乗るのが大好きだったという。

根拠3:南朝の正当性が認められた
南北朝時代に、皇室は南北の2つに分裂し、どちらが正統な天皇家であるかが議論されていた。
しかし明治44年に、睦人親王は、自身は北朝の血統であるのに、南朝が正統であると認めた。

根拠はこのほかにも存在しますが、果たして明治天皇は本当にすり替えられていたのか、その結論は出ていません。

参考にしたサイト
明治天皇すり替え説の信憑性はどのくらいでしょうか- Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1172394556
「田布施システム」と明治天皇替え玉説
http://matome.naver.jp/odai/2140936478223317401

 

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