「水泳」は、いつ頃からある?

「水泳」は、いつ頃からあるのでしょうか?

泳ぐアザラシ
泳ぐアザラシ

人類は、太古の昔から、水中の食料を採集したり、川を横切ったり、また水難からのがれるために泳いだと推測されています。

また、宗教上の理由で行なわれる沐浴(もくよく=穢 (けが) れを除く儀礼の一種)、衛生のための洗身も水泳を生んだと考えられています。

水泳の記録としては、古代エジプトのパピルス文書 (前 2000 年)、アッシリアのニムルド出土の兵士の図 (前 9 世紀),中国古代の荘子・列子・淮南子 (えなんじ)などに残されています。

古代ギリシアにおいては、水泳は軍事的・教育的に重視されており、ローマで盛んだったいわゆる「ローマ風呂」の中心は、フリギダリウム (frigidarium、冷水浴場) でした。

しかしながら、中世ヨーロッパにおいては水泳は衰退(すいたい)し、近世になって、その体育的価値が評価されるようになり、19 世紀にはイギリスを中心にスポーツとして広まっていきました。

日本では、水泳は江戸時代の末までは「水練 (すいれん)」と呼ばれていました。
水練の歴史は古く、古事記には伊邪那岐命(いざなぎのみこと、伊弉諾尊) がみそぎをしたと記されており、日本書紀には、海部(あまべ=海産物を上納(じょうのう)し、航海技術をもって朝廷に仕えた部民) が諸国に置かれたとあります。
万葉集の歌の中には、海女(あま)が潜(もぐ)ってアワビを採ったことを歌ったものもあります。

海人は、船員として水軍の船にも乗り、中世には水泳が軍事技術として発達して、武芸十八般のひとつに数えられるようになりました。
が、江戸時代の鎖国政策で規制が厳しくなり、水泳は藩校の武術の科目として残ったものの、地方に分化することとなり、その結果、多くの流派を生むことになりました。

明治時代に入って、これらの各流派は、東京の隅田川(すみだがわ)に道場を開き、また、東京大学などの水泳場も開設されます。
そして、1900年には、各派統一のための「日本游泳術研究会」が創立されました。

このようにして、日本の遊泳術(日本泳法)は、現在までも継承されています。

一方、ヨーロッパで確立されたスピードを重視した近代泳法は、同じく明治に入ってから日本で盛んになりました。

現在では水泳は、学校での教育科目として、健康維持・増進を目的として、勝敗を競う競技として、また純粋に趣味として楽しむためなど、さまざまな目的で行なわれています。
また、オリンピックの競技種目のひとつとして、自分で泳ぐばかりでなく、目で見て楽しむものにもなっているのは周知の通りです。

参考にしたサイト
水泳の歴史
http://www.geocities.jp/tattyan55jp/suieinorekisi.html

 

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