なんと! 試合中に相手の力士の迫力に圧倒され、逃げ出した力士がいた?

力士

日本の国技とされる相撲。
その長い歴史の中で、 なんと、試合を放棄して逃げ出した力士がいることをご存じですか?

1964年の高見山と吉瀬川の1番で、吉瀬川が試合を放棄して逃走

1964年(昭和39年)に行なわれた夏場所4日目、序の口取組での高見山(たかみやま)と吉瀬川(きせがわ)の1番で、ハワイ出身の巨漢・高見山の迫力に圧倒され、吉瀬川は土俵から逃げ出しました。

当時、序の口で巨漢の高見山と対等にぶつかり合える力士はいなかったのです。

「はっけよ~い、のこったのこった!」
写真はこちらからお借りしました。

髙見山ってどんな力士?

髙見山 大五郎(たかみやま だいごろう、本名:渡辺 大五郎(わたなべ だいごろう)1944年6月16日 – )は、アメリカのハワイ準州マウイ島出身で、高砂部屋所属の元大相撲力士で、身長は192cm、体重は205kg、最高位は東関脇です。
髙見山の四股名は、初代高砂、また優勝制度確立後初の優勝力士(髙見山酉之助)が名乗るなど、高砂部屋で由緒ある出世名です。

髙見山は初めての外国人関取で、それも一般日本人とは異なる人種の力士として注目されました。
そのため、外国人差別を受けたとの見方がなされたこともあります。 例えば、「相撲は国技だから外国人を受け入れるべきではない」との評論がたびたびマスコミに顔を出し、彼自身もそのような手紙などを受け取ったことがあります。

また、「親方株取得は日本国籍を有する者に限る」との制約がなされたのは、彼を閉め出そうとするものであったという見解もありました。
しかしながら、彼自身はこれを認めず、「外人差別は一切感じなかった」と述べています。

まぁ、それだけ強かった、ということですね。

参考にしたサイト 高見山大五郎-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/高見山大五郎

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