「日の丸弁当」の名前の由来は?

日の丸弁当

日の丸弁当(ひのまるべんとう)は、ご存知の通り、弁当箱に詰めたご飯の中央におかずとして梅干し1個だけを乗せたもので、日本の国旗(日の丸)のデザインに似ていることからこの名があります。

日の丸弁当は、戦前からありましたが、特に戦時中、毎月1日に設定されていた「興亜奉公日(こうあほうこうび)」の食事に奨励(しょうれい)されたことで知られており、戦時中の代表的な食べ物のひとつと考えられています。

興亜奉公日というのは、国民精神総動員運動の一環として、1939年9月から1942年1月まで実施された生活運動です。
この日は、戦場での兵隊の苦労を偲(しの)んで、日の丸弁当だけで質素(しっそ)に暮らすことが奨励されました。

日の丸弁当が奨励されたのは、特に小学校・中学校で、学校に通う子供たちは、昼食に日の丸弁当を持参しました。
陸軍省では、毎月7日を「日の丸デー」と定め、7銭の日の丸弁当を売って恤兵(じゅっぺい、=戦地にいる兵士のために金銭や品物を贈って慰問(いもん)すること)の費用を捻出(ねんしゅつ)しました。
鉄道の駅弁もやがて、日の丸弁当のみに制限されるようになりました。

日の丸弁当の外観は、最初に述べたように日本国旗のイメージに重なるため、愛国弁当としても意味づけられました。
戦時中は特に、愛国心を煽(あお)るために、「日の丸弁当」と呼ばれたといいます。

かくして、「日の丸弁当」の名は、国民精神総動員のスローガン「欲しがりません、勝つまでは」とともに戦時中の流行語にもなりました。

昭和初期の江戸川乱歩の人気小説「怪人二十面相」でも、倹約(けんやく)の象徴として日の丸弁当の場面が盛り込まれるようになった一方、こうした精神論を吹き込む運動を形式主義とし、「御役人衆はうんと旨い物を召し上がって能率を倍加して貰いたい。民衆は日の丸弁当よりも、てきぱきと公務を進捗して貰うことを要望するものである」との批判もありました。

ちなみに、和歌山県日高郡の旧南部川村(後のみなべ町)は梅干しの生産で知られていますが、日の丸弁当の登場によって梅干しの需要(じゅよう)が伸び、さらに、当時の日本軍の弁当に用いられて好評を得たことで、南部梅の基礎となりました。

参考にしたサイト

日の丸弁当 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/日の丸弁当

 

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