2017年08月一覧

蜀山人の出した「のんべえの心得」とは?

江戸時代の戯作者(げさくしゃ)のひとり・蜀山人(しょくさんじん、1749年 - 1823年)は、たいへんなのんべえでした。蜀山人は、日本各地の造り酒屋を訪れては、味見をして狂歌(きょうか)を詠(よ)んだといわれています。しかも蜀山人は、自ら「飲酒法令」というのを作って、酒を飲む心得を述べています。その心得とは、一、節句(せっく)と祝儀(しゅうぎ)のときには飲むことにしよう一、珍客(ちんきゃく)があれば飲むことにしよう一、月見、雪見、花見のときには飲もう

ビートたけしは、つまみ枝豆に800万円のベンツをプレゼントした? – ビートたけしのちょっといい話 厳選2話

あるとき、たけし軍団のラッシャー板前が引っ越すと聞き、「ラッシャー、引っ越しするんだって?欲しいもんあるか?」と質問しました。そこで、「殿、洗濯機が欲しいっす」と答えると、数日後、引っ越し先に大きな荷物が届きました。開けてみると、中にはタライと洗濯板が入っています。「これはたけしさんにやられたな」と苦笑しながらタライの裏を見ると、100万円入った封筒がついており、「コレでいい洗濯機買え!」と書かれた手紙が同封(どうふう)されていたそうです。

アントニオ猪木の「闘魂ビンタ」の始まりは?

1990年(平成2年)5月16日のこと、当時国会議員だったアントニオ猪木は、早稲田予備校で行なわれた講演で、予備校生たちのパンチを腹部に受ける余興(よきょう)を行ないました。が、その中の1人は、実は少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)の有段者で、力を込めて殴ったため、この不意打ちに準備できなかったアントニオ猪木は、反射的に予備校生にビンタを打ってしまいました。その予備校生は猪木のファンだったようで、ビンタを受けた直後に、「ありがとうございました」と一礼したことで事なきを得ました。これが「闘魂ビンタ」の始まりです。

えっ? 「安全かみそり」は、もともと「安全性重視」で発明されたものではなかった?

「安全かみそり」と聞くと、使用者にとって安全に使えるように設計されたかみそり、というイメージがあります。しかしながら、なんと、このかみそりは、もともと「安全性重視」で発明されたものではありませんでした。1895年のこと、ジレットはセールスの旅先でひげそり用のかみそりを研(と)いでいました。そのとき、彼の頭に妙案(みょうあん)が浮かびました。「何でこんなに厚い刃にして、1回1回研がなければならないんだ? ”刃を薄い鋼鉄にして安くあげれば、使い捨てにできる!”」

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